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数学は「考え方を学ぶ」ものではないかな~と考える

はてなダイアリーを使っていることからわかると思いますが基本的にはてなのトップページに来ている内容についてはいろいろとみています。で、その中でちょっと考えされる記事があったので二つほどあげて私の考えも書いておきたいと思います。

 

数学を勉強できなくなったので休学をすることに決めた – Diary over Finite Fields

「数学は役に立つ/立たない」について思うこと  – Imaginary & Imaginative

 

ちなみに下に書いている内容は上記2つの記事とはあまり関係がないかもしれませんのであしからず。

 

「面白い」と思う人と「訳がわからない」と思う人がはっきり出てしまう(と思う)

ちなみに私は一応工学側の人間(のつもり)なので数学とは少し遠い場所にいた・・・つもりなのですが。いろいろと勉強しまして純粋数学に関しても応用数学に関してもそれなりの知識を得た人間です。上の記事を書いているお二人は両人とも数学の修士課程のようですが、資金と暇があれば数学で修士をとりたいな~とは考えたことがあります。まあ、それは置いておいて。

個人的には数学はほかの学問に比べて妙に体系ががっちりとしていてある一部分だけを知りたい、と思ってもその基礎となる部分を掘り下げて理解しないと意味がほとんどとれないという性質が大きいと考えています。

例として一つあげますと、元々私が工学でやっていたのは情報系で特に暗号系に関して興味があったのでその部分に関する数学を勉強していたのですがはっきり言って訳がわからなかったです。RSA暗号もその一つでRSA暗号自体は基本情報技術者試験あたりにでも出てきそうなくらい一般的な暗号方式でプログラムとして実装する分にも計算方法は公開されているので多倍長整数が使えればそれほど難しいことはないです。・・・が、その根拠となっている理由を数学的に理解しようとするといったいどこまで基礎にたどればよいのかその時点では全くわからない状態でした。そのため情報工学としてRSA暗号を理解したときには「こういう方法を使えばうまくいくよ」程度の意味しかなかったです。

これがとある理由から代数学を基礎からやり直すことで群・環・体の定義からその定義より得られる各種定理、暗号系の基礎となる剰余環の話や中国剰余定理、オイラーの定理、体の拡張などに関して学ぶことで初めてなぜRSA暗号が成立していたのか、という話を理解することができました。これに関しても結局は代数学という数学の分野のある意味基礎となっているところからやっていたので理解するのは大変ですが理解できてしまえばかなり面白いな~というのは感じています。

ここで重要になるのは「そういう基礎の部分から学んでいく中でそれぞれの定理がどのような働きをしているかを見ることで自分の中で意味をつけていく」ことができるかどうか、またその行為に面白さを感じるかどうかが数学という分野における学習のモチベーションの一つになるのでは?というのが私の意見です。これは私は数学の分野のうち代数学、それも整数論を得意としておりその理由が「応用することで情報工学の分野につながっていることを知っており、それを自身のプログラムに今後生かせることがわかっているから」だったから面白いと考えて取り組めたのであり、単に代数学をなんとなくで学んでいると途中から体系の意味がとれなくなって・・・ということがありうる、ということでもあります。まあ、数学上の問題を計算機のプログラムとして表現して調べるということも好きなのも関係しているでしょうがね。

 

体系づけられているだけに「わからない」が拡大していってしまう

算数や数学で苦手意識を持つのはこのことが多いのでは?と思います。たとえば中学校だと正の数負の数は図形関係を除いてはその後でこれができないと全くといっていいほど理解ができなくなります。無理矢理負の数が出て来ないようにできるか?といわれるとおそらく不可能だと思います。で、わからないと問題が解けなくなる。解けなくなるとやる気を失ってしまうし先生からはしかられる。親からもテストの点数で怒られる。なんてことが連続していくといやになりますよね~。そうなれば「わかりません」の回答だけしかないですね。

もちろん、大学レベルでも同じだと思います。特に研究なんかで「自分が何を理解できていないか」を理解していないと進めないのはどの研究でも同じですが、数学としてそれがどのレベルの基礎なのかを考えられないとかなり厳しいと思います。

 

数学は学校教育として考えるなら「考えるための勉強」なんだろうな~と思う

数学は今現在自分が知っていることから拡張を自分自身で考えることができることができるのも特徴だと聞いたことがあります。たとえば1次方程式を学習した中学生なら「なら文字が増えたらどうなるのか?、1次じゃなくなったらどうなるのか」を(解けなかったとしても)考えることはできますし、2次方程式の解の公式を学習した後ならば「それ以上の次数になったときに解の公式はあるのだろうか」ということを興味がある人なら少しは考えることがあるものだと思います。これは数学に興味を持っている人が考えることかもしれませんがもちろん普通の問題でも「どうすれば自分が知っている(あるいは簡単な)計算方法に持って行くことができるだろうか」ということを考えて解くことは多いと思います。これらは暗記系ではあまりない発想だと思います。教えるときでも間違っていてもいいから一度問題をやってみて先生がやり方について解説する、なんてパターンはよくある話ですし、こういうところがその性質をよく持っているのでは、と思いました。

 

そういえば誰かから聞いたことがありますが一言だけ名言を。

大学の学問では理科は数学となり数学は哲学となる

特に純粋数学を突き詰めていくといつの間にか哲学の領域に突っ込んでいくんですよね・・・。有名なのが「(自然数において)なぜ1+1=2なのか」ですか。これもペアノの公理が成立しているなら・・・、とかいう話になってきますからね。ちなみにペアノの公理が成立していない環境ならば1+1=2とはなりません。これは私の過去記事でも書きましたので興味がある方は一度見てみるといいかもしれません。

まあいろいろと考えることがあるとは思います。上で紹介した記事の方で前者の方は一度休学するようですので(私などが言うのもおこがましいことかもしれませんが)休学の期間でいろいろなことを見てくるとよいと思いますのでどうするにしても頑張ってほしいと思います。

 

やってみたい数学ネタ「壬申の乱は何年に起こった?」

題名が矛盾しているようですが、実はこれ、数学である程度求めることができるのが笑えるんですよね・・・。中学校あたりの授業で誰かやってくれないかな・・・とか思っています。誰か指導案でも作ってその授業が録画されているのであれば是非見させてください。まあ、確率と期待値の話で宝くじを使ったものを学習指導案で書く方がまだ現実的かな~とは思いますが。

 

このネタは今年(2016年)が申年だからこそできる

実はこれがキーワード。干支を聞いたときに「サル年」とは答えられるのですが、この「申」という漢字が出てこないのが痛いところ。これを絡ませることができれば大変面白い話ができそうなのに・・・というのがはじめです。一応この話は60進法の話として使ってその後にn進法(2進法や12進法が身近にある)でつないでいけばおそらくきれいに授業が構築できるのでは、と考えています。

 

初期の話題設定

おそらく社会の時間で年号まで含めてやっているような気はしますがそれでも改めて聞かれると答えづらいと思います。最初のお題はこんな感じ。

壬申の乱は何年に起こったでしょうか。次の4のうちから答えなさい。

  1. 657年
  2. 673年
  3. 679年
  4. 682年

・・・わかる人はわかると思いますが、実はこの中には回答はありません。正しい回答は「672年」です。中学生の授業で出せば誰かこれを指摘するのではないかと思います。で、ここから「なぜこの中に回答がないといえるのかを数学で考えてみよう」と持って行くわけですね。

 

「壬申の乱」が起こったときの干支も「申年」だ、が分かれば答えが出せる

はじめの段階ではこの「壬申」が十干十二支で表された年号という話はわからないだろう、ということで流れとして、

  1. Q. 今年は何年? A.2016年
  2. Q. 今年の干支は? A.さる
  3. Q. 干支での「さる」は漢字でどう書く? A.「申」
  4. Q. 「壬申」と「申年」につながりがありそうでは? A.ありそう
  5. Q.もしかして「壬申」は申年の出来事では? A.そうか!

という感じで壬申の乱が申年だ、ということを考えさせて、そうするともし申年ならば干支は12年周期(ここに12進法に近い考え方が表れる)だから、2016-(壬申の乱が起こった年)は12の倍数になる、しかしはじめの問題の選択肢だとすべて当てはまらない(そもそも選択肢1~3は奇数なのであり得ない、選択肢4は2016-682=1334となり3の倍数ではないため12の倍数ではない)、よって数学的に選択肢の中に答えがない、という結論が得られるわけですね。

 

後は十干十二支の話から「壬申の乱が何年だったかを考える」へともっていく

ちなみに2016年は「丙申」なので、24年前の1992年が一つ前の「壬申」になります。あとは60進法の考え方から壬申の乱は1992年から60の倍数だけ戻した年にあるので選択肢から見てだいたい650~680年だとするなら、その中にある「壬申」は?となって672年を出す、ということができます。まあ、基準となる年をいくつか知っていればこの手の問題はやりやすいですね。十干十二支で考えたときに西暦だと60の倍数になるのは「庚申」だ、とかですか。(ここを知っているだけで壬申の乱の年は西暦では12の倍数になることが確定してしまう)ちなみに、日本史や中国史の中でこの手の年号で表される事件というのはすべてこのやり方で求めることが可能です。60年周期なので60年単位でしか間違えませんし。それで間違えたらもうどうしようありません・・・。また、十二支は記憶しやすいですが十干が記憶しづらいのがなんともいえませんが。最後に還暦の言葉の由来が干支で年号を考えたときに一周することから来ている、というところまで来れば国語との関連もばっちり、というところですか。

 

実は12進法でも楽しめる

12進法は学校の身近にあるものでできるのが楽ですよね。上記での干支が有力な例ですし、時計を使うのも手ですし、音楽の音階を使うのも手です。普通にダースで数えるやり方を使ってもいいですからね。私は音楽の音階を使ったものが面白そうと考えているのですが、実際にどうなるか想定してみないとよく分からないところですか。というところで、今回の数学ネタでした。どちらかというと教材に近いかもしれないですね。

 

あまりに関するとある問題の考え方

というわけでなぜかこんな話題。数学の話題としては代数学の知識で解答できるので例題から。いわゆるあまりに関する問題です。

Q. 7で割ると3あまり、11で割ると5あまり、13で割ると4余る数は1から1000までの間に何個あるか答えなさい

似たような問題はほかにも作れます。たとえば

Q. 4で割ると1あまり、7で割ると4あまる数は1から400までの間に何個あるか答えなさい

のようなものです。小学生向けの問題として出てくることも多そうな問題ですが・・・。

 

問題の一般系はこんな感じ

一般化するとこの問題に共通する前提条件を書かなければならないので解法がわかりやすくなります。上記の問題の一般系はこんな感じですね。

x1で割るとr1あまり、…、xnで割るとrnあまる数は0からmまでの間に何個あるか答えなさい。ただし、x1からxnは互いに素とする。

このときに重要なのは一般化することで現れた条件「ただし、x1からxnは互いに素とする」が鍵になります。この条件があるととある定理が使えるため簡単な解答となるわけです。ちなみに「互いに素」の意味がわからない人であれば「どの2個に対しても最大公約数は1となる」とすれば小学生でもわかると思います。

 

一般化した問題の解答は?

こんな感じになります。中学生以下だと読み取るのは難しい回答かも。

中国剰余定理よりx=x1×x2×…xnとするとき、0からx-1までには対象となる数はただ一つ存在する。この数をyとするとき、問題の状態に当てはまる数はlx+y(ただしlは正の整数)の形となる。よって、m=qx+r(ただし、qとrは整数であり0<=r<xを満たすものとする)となるとき、y<=rであるときには対象の数はq+1個存在し、そうでないときには対象の数はq個存在する。

中国剰余定理を使うとこんな感じの解答になります。数え始める数を0にしてあるおかげで意外ときれいな解答になりました。

 

で、例題の解答ですが

それはこんな感じ。はじめの問題では

Q. 7で割ると3あまり、11で割ると5あまり、13で割ると4余る数は1から1000までの間に何個あるか答えなさい

A. 7×11×13=1001であり、7、11、13は互いに素だから中国剰余定理より0~1000までに対象の数は一つ存在する。0はすべての数であまりが0となるが問題文よりそれはあり得ない。よって1から1000までの間には1個のみ存在する。

後の問題では

Q. 4で割ると1あまり、7で割ると4あまる数は1から400までの間に何個あるか答えなさい

A. 4×7は28であり、4と7は互いに素だから中国剰余定理より0~27までに対象の数は一つ存在する。これを拡張すると400÷28=14…8となることに注意すると、まず問題文より0はあり得ない。同様に1~8までで考えるとどの数も問題文の条件には当てはまらない。よって28×14=392から28×14+8=400までには対象の数は一つも存在しない。よって1から400までの間には14個存在する

となります。中国剰余定理を用いるとこの手のあまりに関する問題があっさり解けてしまうのが面白いところですね。

円の面積の話題に学習指導要領解説からアプローチしてみる

今回の話は一応私なりの回答は持っています今回は示しません。で、皆さんに考えさせる資料として学習指導要領解説からこの問題にアプローチしてみたいと思います。

 

元々の問題は

togetterの算数の問題「円周率を3.14とするとき、半径11の円の面積を求めよ」の解を379.94とするのは誤り? より。今までの論議を見ていると理科的な考えと数学的な考えとが入り交じって大変なことになっているように見えます。個人的に間違いとする人たちは理科的な視点が強めのように見えますし・・・。

で、この話に学習指導要領からアプローチして学校教育上でどのように考えられているか見ていきます。これは教育的な見方なので数学的な見方や理科的な見方はかなり少なくなっていることに注意しましょう。

 

まず有効数字の考え方について

有効数字の考え方は科学を考える上ではデータの信頼性などの問題もあり重要です。それはいいのですが、その有効数字が小学校の算数でどこまで扱われているのか、というのを先に見ておかないと議論がおかしくなります。

一部には「4年生で概数の概念を学習しているのでわかるはず」ということなのですが、ここでは有効数字という言葉はなく、概数により状態を見積もることができるようになる、その場合にどのくらいの桁まで概数とするのかを考えさせる、が主題になっています。一応算数的活動の中で「目的に応じて計算の結果の見積もりをし、計算の仕方や結果について適切に判断する活動」はありますが、これは(四捨五入ではなく)値をわざと大きく見積もって計算をすると範囲内に収まっているから実際の計算でも収まるだろう、という活動なので円周率の有効数字に関する考えには用いることは難しいと思います。もし用いることができたとしてもそれは「円周率を3.14とすると真の値より小さくして計算しているので計算結果は少し大きくなることを頭に入れておく必要があるよ」くらいでしょうか。

 

円周率について

つぎはこちら。円周率については5年生で学習します。円に関して直径の長さと円周の長さの関係として求める物で、その関係を推測させて、という話です。この中では「円周の長さは直径の3倍より大きく、4倍より小さい」ということを学習します。ここまでは解説されていましたが、円周率がどんな値になるかはどうも指導対象になっていないようです。学習指導要領には「円周率は3.14を用いるものとする」なので、おそらくいきなり「円周率=3.14となる」と学習することになるのでは、と思います。教科書によっては具体的には3.14というきっちりした数字ではなく・・・という書き方をするのでしょうが。

ということは、「円周率を3.14とするのは概数ではなく算数として計算する上での定義値である」ととらえるのが自然ではないでしょうか。もちろん、これは(上級の)数学や理科ではそれぞれの領域で考え方があるので直してください、となるわけですが、小学校の算数の上ではこれでもよい、となっているようですね。この考え方はこの後の円の面積の解説にも表れます。

 

円の面積について

円の面積については6年生で学習します。学習指導要領で要求していることは「円の面積の求め方を考えること」なので、円の面積の公式についてどう扱うかは教科書次第になる可能性もあります。実際、学習指導要領解説では円の面積の考え方として

  1. 方眼紙の上に円を描いて正方形の数を数えさせることで円の面積を考えてみる
  2. 円を2n等分して組み合わせると平行四辺形もどきができあがるのでそれから円の面積の公式「らしい」ものを考えてみる

があげられています。それをやった後でどうも円の面積は「直径×円周率÷2×半径=半径×半径×円周率」の公式ができあがるね、とつながっているらしいです。

ここからが重要で、学習指導要領解説にある円の面積と円周率を3.14とすることについての見解については

「円周率は3.14を用いるものとする」と示している。これは、生活や学習では一般に3.14を用いれば、多くの場合十分だからである。

となっています。つまり生活を送る上で必要となる算数において有効数字がどうのこうのではなく、「計算できること」と「真の値に対しての差が(生活上)問題ないこと」が満たされることが重要である、ということでこの話を閉じているのだと思われます。まあ、算数はどちらかというと計算能力や数学的な物の見方の基礎を学習するものなので、それができることを優先するのが当たり前といえば当たり前なのですが。

 

流れを通して学習指導要領(解説)のスタンスを考えてみると

おそらく「算数を学習する上では上記の問題に対して379.94とするのは、ここまで計算できていれば計算能力的には問題ないことと、実生活でこの値を用いても十分だ」ということではないでしょうか。もし概数の考え方を用いたとしても結局は「半径11の円の面積は379.94より少し大きくなる」が解答となる、といったところではないでしょうか。無理矢理数学的に問題を解釈するなら

円の面積は(暗黙的に)半径×半径×円周率で計算できるものとする。ここで円周率は3.14という値であると定義されているものとする。以上の仮定に基づくとき、半径11の円の面積はどのように計算され、その結果はどうなるか、解答せよ。

といったところでしょうか。

 

小学校の足し算、かけ算の可換に関する考察(学習指導要領解説から読み取る)

しかしながら毎度のことですがこの手の話題は話題になるときは話題になるので今回も話に一石を投じてみたいと思います。前回は数学から離れた場所から数学を使っている人間として考えてみましたが、今回は教師に近い目線で学習指導要領を通してこの問題を見たときに何が見えるか?ということで読み解いていきたいと思います。

結論を先に言うと「足し算やかけ算の可換性について式の作り方を教えた直後であれば逆に書いたときに間違いとすることは学習指導要領から見ると間違いとはいえない」ということになるかと思います。これについてちょっと説明をしたいと思います。

 

足し算やかけ算の式を教えるときにどのように教える、という指針なのか

これを見ていきます。学習指導要領をみてみると順序を逆にしたときにどうするのか?については触れられていません。なので判定する材料がないわけです。

ここで問題になるのは「学習指導要領解説」のほうになります。これは学習指導要領に書かれている内容を大学の教授や小学校の先生などが解釈を加えて説明したもので、ほとんどの学校や教科書会社ではこちらを参考にしてどのように指導するかを決定することになると思います。こちらに書いてある内容を参照してみると逆に書くと間違いとできる根拠が少し見えてきます。まずは学習指導要領解説の算数編を見ながら(私なりにですが)解釈すると

  • どの児童も与えられた場面について同じ式を立てられる必要がある(つまり式を逆に立ててしまうと国語としてみたとき場面を構成できなくなるため、間違いとできる)
  • 式に直した段階では一般化していないため、数学としては可換な演算だが、一般化について教えるまでは非可換な演算として扱ってもかまわない(計算順序についても同様)
  • この段階での「式」とは具体的な場面を想定させるためのものなので場面との不一致が起こった時点で間違いと見なせる

ということで、やはり逆にしたときに間違いとすることを認めているようにも読み取れるのではないか?と考えてしまいます。ちなみに上記の説明の後ですが、ちゃんと足し算の式を構築する例があり、国語的な連動があるため、国語から算数の加法の式を与えようとするなら非可換演算と読み取れても仕方が無いと考えられます。

 

初めて加法や乗法を学習する段階では国語の意味を算数の式に連動させることを学習指導要領の解説が要求している

つまり初めて学習した段階では数学としての加法や乗法の式ではなく「国語を数式表現にしました」という教え方から入る、ということなのでこのような結論が得られるのではないでしょうか。現場の教師や教科書はこれに従っているとするなら「そう考える人も出てくるだろうしそうなるしかないのかな」という感想となりました。もちろん式の一般化、つまりは場面を表しているのではなくただの計算を行うという段階まで来れば可換性を習うのでその場合においては可換として良い、ということになるのでしょうが・・・。面倒なことですね。

ということは(数学的に見ている場合の)可換性が小学校の算数で保たれないという問題はそれぞれの表し方を行う場合の初めの入り方が言葉などとの関連性を保つ形である以上学習指導要領解説がこの形であればずっと残ってしまうと考えられますね。なかなか奥が深いです。

 

(注) 本来なら文面を引用するところなのですが引用の記述をするのが面倒だったため省略しました。どう書いてあるか見てみたい人は文部科学省のページから検索して文面を読んでみるといいと思います。