というのをリンクを見ていながら思いました。元記事はこちら。
データの分析をタダで引き受けてはならない10の理由 – ネガティブにデータサイエンティストでもないブログ
結局のところ、無償作業はあくまで「サービス」である、ということがわからないと
ということですね。まあ特にクリエイティブな仕事や単価が非常にわかりづらいものに多い、というのが特徴でしょうか。ちょっと前にあった「やなせさんが自治体のキャラクターを作るのに無償でやっていた」の話も似たような特徴を持っていると思いますので。それぞれの項目を簡単にまとめてみましょう。
それぞれの項目を一般解として言い換えたものです。それぞれを各分野ごとに当てはめればいいと思います。
#1 無償でやっても責任はのしかかる
#2 作業時間は「無かったこと」になってしまう
#3 作業により別の問題が発生することもある
#4 無償作業は「サービス」であり、それ自体には価値がない(何かに付随する)と見なされるものである
#5 一度無償作業をすると以降も暗黙的に無償作業を要求される
#6 「いつでも無料でサービスが受けられる」との勘違いで依頼者が無茶な行動を起こしやすくなる
#7 作業をした分野以外に本来有償でなければならないものまで無償での作業を要求される
#8 無償作業を行った後の範囲が勝手に拡大していく
#9 作業をした分だけ自分が得られるはずの報酬がなくなる
#10 (対象の分野において)そもそも引き受ける無償作業は本来なら別の個人もしくは法人が有償でやるべきはずのものである
いくつか微妙に意味がかぶっていますが、まあそれは置いておいて。
こういう項目を見ているとやはり「人は報酬を支払わないものに関する尊敬の念が低すぎる(というかない)」というのがよくわかりますね。
しかもおもしろいことにこの手の問題を持つものは往々にして「その人がやってくれたのだから同じような作業をさせる分には別の人にも無償作業を要求する」という事態が起こりがちというのも余り見過ごせないと思います。
基本的に無償で引き受けることができる理由としては
- その作業を無償で引き受けることにより別の(それより圧倒的に大きな案件を)報酬で引き受けることできる、という状態を作り出すことができる(または見込める)ため
- (上に似ているが)作業を行うことにより別のスポンサーなどから十分な報酬を得ることができるため
- 自身にすでに十分な預金などがあり、また対象の分野の発展を願うなど無償でも有償でもやるような個人的な理由(善意や思想など)があるため
- 依頼された筋や人付き合いなどで断ることにより自身の立場や評価が問題となってしまうために引き受けざるを得なくなるため
といったところでしょうか。
あまり「単価が下がるのが・・・」などとは言いたくはないが
資本主義ですので単価に関する競争については「仕方がない」で済ませたくはないですがそうならざるを得ないでしょう。たとえばクラウドソーシングやランサーズなどとはうまくつきあっていけばまあ多少品質が気になるところですが依頼者も受注者もそれなりにいい関係を築けそうな気はします。
ただ世間的に「その作業は無償が当たり前」となってしまうとその分野が成り立たなくなるというのはよくある話です。そうすると別の分野に付随して何とか残っていくしかない、という現実だけがのしかかることになります。単価が一昔前からすれば数分の一になっているような分野もこれに当てはまりますね。
昔を懐かしむわけではないですが、こういう無償作業に関しては「貸し」や「借り」としてそれぞれに関係が残ることによって個人間や店とのつきあいでいい関係を築けていた時もあったと思うのですが、(資本主義)社会としてやってみるとままならないものですね・・・。だからといって共産主義がいいかというとそうでもないですし。
あと、無償作業を依頼することを考えている人には「なぜその作業は無償で引き受けることができるのか?」を考えてみる機会があればいいような気がします。
・・・そのまえに自分の生活を何とかしないとどうしようもないような気がしますが・・・気のせいではないでしょう。
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