何となく母校の学園祭へ行ったときに考えさせられたこと

学園祭といっても私は基本的に学園祭とかそういう祭りで金を払ってものを買うことは滅多にありません。何となく買う気になれないだけです・・・。

ま、実際は何となくではなくて、ある意味では人材発掘も兼ねていました。いわゆる「プログラムができるような人がいないかな~」と思っていって教官に話を聞いたのですが、

そのときの話やら何やらでいくつか思ったことがありましたのでネタにしてみます。

ゆとり教育の弊害かどうかは知らないけれど、教育レベルが自分たちの頃より間違いなく低下している

で、教官から紹介されて話をしてみた人とその教官と一緒に話をしながらその教官との間で交わされた会話で確信したことです。

というのも、技術系の学校なのでもちろんプログラムの授業があるのですが、いつの間にか習得する言語がC&C++からC&C#へと変化していた、ということでした。

C言語を低学年で習うのは同じですが、高学年での言語がC++からC#に切り替わったわけですね。

それ自身は時代の流れとしてあまり誤ってはいないですが、C#が選ばれた理由が「習得を早くするため」ということだ、という話でした。

わかる人はわかると思いますが、「習得を早くする」はいい方で考えるなら「ほかのことも学べるようになる」という意味ですが、

これの本質は主に以下のような意味になります。

  • 習得を早くするには難易度を落とす必要がある

→単純に考えてレベルを落とさざるを得なくなり、その分必要な思考をすることができなくなる

(以下プログラムの言語的に)

  • C#はC++に比べて比較的簡単で、最新の言語であるので後々使いやすい

→C言語が忘れ去られるレベルまでになってしまい、プログラムの(機械的な)基本動作を無視できるようになってしまう

  • C#にはすでに必要となるであろうランタイムがほぼ完全に整備されているのでそちらを覚えさせる方が早い

→プログラムの基本動作の部分を覚えることなく処理ができるようになる

ということで、ある意味悲しい現実だな~という感じでした。

実際にC#を使えるようになることで、グラフィックなどに必要となるライブラリがMicrosoftのXNAに切り替わってしまっていました。

うわべの動作を手っ取り早くやるなら確かに簡単で(ある意味わかりやすくて)早いですが、ちょっと基本部分に入ろうとしたとたんに必要となることがわからない、という状態になると思います。

さらに上の勉強をすれば補完されることもありますが・・・。

学校教育からは天才は誕生しない

まあ、これはよく言われている事象ではありますが、たぶんこれは真実だと思います。

一つ、プログラム(というかゲームプログラム)的な話で例えたいと思います。

私もそうでしたが、工業系(情報系)に入る学生の中には「ゲームを作りたい」という考えを持って入る人がよくいます。

こういう人がいれば真っ先にいいたいのは

ゲームを作る技術は学校で学ばない。自分で必要なことを勉強して初めてできる(使える)ようになる

ということです。おそらく関わったことがある人ならばこの言の意味はわかると思います。

で、これを拡張していくと、

その道の最高の能力を持った人というのは、自分で必要なことを習得していくことでその能力を身につけ、そうして天才となる

ということだと思います。特に学校教育は基礎的なものを習得させることが目的なのでそういう「あるものに傾いた最高の能力」というのは

どうしても教育だけからでは派生しないものだと思います。「その道に進みたい」と思うならまず自分で必要なことを勉強してみてください。

なお、ゲームスクールとかありますが、あれはあまり使えないと思います。

「あまり使えない」なので、人によってはそこで能力を開花させるという可能性を否定しているわけではないのですが、それこそ天才ならばそういう場所に行く必要性自体がないと思います。

とまあ、日記っぽいネタでした。

・・・・もし私が知っている人が見てもネタにはしないでね~と一言。


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