というわけで、ある意味でこの記事の変形ですが。
ナビゲーションで放送した物を微妙に見方を変えて(というより焦点を変えて)取り上げたパターンになっています。
着目点が違うようで同じようで違う
こういうのがもっとも自然な気がする言い方です。
特に、将棋の部分で言うなら序盤の米長会長の構想に関する物言いとボンクラーズが似たような手を指している部分において異なった見方をしているのがとても印象的でした。
繰り返しているところが一番説明しやすいですが、
ナビゲーション:ボンクラーズ側の評価値が下がっていって「(手が動かないことによって)不利な局面である」という考え方
クローズアップ現代:米長会長から見ると「攻めてくるのを待っている(そのための体制を整えている)」+ボンクラーズも「待っている」という考え方
というある意味真逆(評価としてみたときに)のとらえ方をしているというのがおもしろいですね。
また、ナビゲーションがどちらかというと「コンピュータがプロ棋士を負かした=>歴史的快挙」に近い評価に対して、
クローズアップ現代が「コンピュータの進歩と機械学習などの手法によって人工知能の発展に」に近い考え方になっている、という点ですね。
見方はいろいろとあるのが理解につながる
棋譜を見ていないので結局何とも言えないのですが、クローズアップ現代の放送のおかげでいくつか気になっていたことが補完されたので納得した部分がありました。
序盤の米長会長の構想とそれに対する対応、中盤の微妙な悪手に対するボンクラーズの読みなんかがそれですね。
特に中盤の手においてボンクラーズが米長会長の手をある程度読んでいた、というのがコンピュータ将棋と人工知能の分野でうまくいった出来事ではないでしょうか。
結局は「勝つこと」が副産物に近い物なのかも
でしょうか。まあ、確かにこういう処理の目的というのは最終的には「コンピュータに人間の思考をシミュレーションさせる」ことにあるわけですから。
その中でもコンピュータと人間が共通して考えることができ、かつ評価(結果)がわかりやすいものがこういう物ですからね。
さらなる人工知能の発展に期待するとしましょう。
「悪手になりそうなパターンを落とす」は探索処理の基本中の基本
まあ、初心者レベルの解説だとあれも技術の一つになるのでしょうが・・・。
確かこの動作を「枝刈り」と言うはずです。評価値が低い枝を刈ってしまう、というところからきています。
先読みを必要とするもので、評価方法が決まっていて、全場面を読むことができない(時間的制約、空間(メモリ)的制約)場合の基本方法ですからね。
これをそう呼ぶのは私的にはあまり気が進まなかったりします。
こういう番組はきっちりと見る人
でもこういう番組は民放ではまずやらないんですよね。視聴率なんてとれないでしょうから。
芸人を出して視聴率を適当にとろう、なんて甘いんですよ。(と微妙な批判をしてみる人。的外れのような気も)