見ていると話題になっているので私も少し考えてみたいと思います。
が、これについては私の記憶では5月~6月の時に似たような話(そのときは3×5≠5×3?だったはず)があり、そのときにもほぼ同じ論争になっていましたが、実は今回の場合それらで根本的に違う点があります。それが今考える重要ポイントかもしれません。
元々は「小学二年生の算数のテスト(文章題)で「かける数」と「かけられる数」を逆にしたときに間違いとすべきなのか正解とすべきなのか?」
から始まります。今回の場合は簡単に言うと「8人に1人につき6本のペンをあげます。全部で何本ですか?」という問題の解答がどうなのか?に対して、
このときに8×6=48本だと×で6×8=48本だと○になる、という数学から見ると不自然な正誤になる、という物ですね。
詳しく知りたい方は検索でもかけてください。
前回は「式が間違い。答えは正しい」、今回は「式も答えも(答えは正しいはずなのに)間違い」とされたこと
小学二年生の段階で九九や乗算の交換法則が出てきていない頃で式の部分についてはいろいろと考える余地があると思いますので下に別で考えたいと思います。
私が疑問に思ったのが「なぜ答えまで×にしなければならないのか?」というところです。
前回の場合は答えにはたしか○がついていたと記憶していて、それならば式の立て方と教育論の論争だけになるのでまあそれは建設的だと思うのですが、どうも「答えは正しいのに式がだめなために×がつけられる」という部分にかなりの違和感を感じています。
というのも、(元記事を調べて)確認してみるとわかると思いますが、「答えの数字も合っているし、単位も間違えていない」ということで、
どう考えても(あくまで)答え単体で正答を見れば○でなければならない、と私は考えています。
しかもこの問題、式と答えがそれぞれ別配点となっているというのもポイントで、それなら「答えが合っているなら丸をつけるべき」なのではないでしょうか?
国語の問題とか算数の問題とか以前の問題で「なぜ正しい(教師が示した答えの部分の文字が一致している)のに×なのか?」という問題の性質として間違いを起こしてしまうと思います。
あくまで式の立て方を問題にしている部分は式の部分で×をつけられていて、その部分で教師が「式の立て方は~」という説明を行う物であり、答えまでそれを及ぼすべきではないような気がするのですが。
それとも、「答えの部分の正答はその前段階に引きずられて決められてもよいものであり、それで理解させる」と言うことなのでしょうか?
乗算の交換法則について
これってかなり難しいですよね。鍵になる要素としては
- 「小学二年生」という学習している最中であり、(自然数の)乗算の性質をすべて知っている訳ではないのでその部分が使えない
- 「算数とは(簡単な)数学+(読解力としての)国語として学習するもの」という考え方
- 大人から見た問題として「乗算では交換法則が成り立つ上にテストの回答では各児童がどう考えたのかそこまで判定できない」こと
でしょうか。
初めのうちに乗算を国語的に身につけさせたいならその部分をある程度強制できるような問題の作り方にすべき、というのには同意します。
(式を作る課程を分解してそれぞれを問題化する、式を作ったときの考え方を文章で記述させる、などというやり方)
×をつけるのであれば児童が理解できるような説明が教師にできればいいのですが・・・。
まあ、確かに「かける数」と「かけられる数」が入れ替わるとそのときにはよくても割り算の勉強に行くときにまた言葉遊びが大変になるような気がしますが・・・。
学習指導というのも大変な物ですね・・・。